上沼恵美子さんの夫は元テレビプロデューサー・テレビディレクターの上沼真平さんです。
上沼恵美子さんと上沼真平さんは1977年に結婚し、2人の男の子を授かっています。
恵美子さんと真平さんの馴れ初めはテレビ番組である「日曜ドキドキパンチ」です。
上沼恵美子さんと上沼真平さんは、テレビ番組を通してどのような経緯で知り合い、結婚にいたったのでしょうか?
上沼恵美子と旦那の馴れ初めは日曜ドキドキパンチ!
上沼恵美子さんと旦那の上沼真平さんは、1975年に「日曜ドキドキパンチ」というテレビ番組がきっかけで出会いました。
上沼恵美子さんが20歳、上沼真平さんは28歳のときです。
日曜ドキドキパンチは、関西テレビで日曜日の昼に放送していた生番組です。
当時、上沼恵美子さんはお姉さんと海原千里・万里(うなばらせんり・まり)という漫才コンビで活躍。
上沼真平さんは、日曜ドキドキパンチの制作ディレクターを務めていました。
1975年7月から日曜ドキドキパンチの司会を務めることになった海原千里・万里。
出演をきっかけに上沼恵美子さんは上沼真平さんと出会い、交際がスタートしました。
「タイトルが『ドキドキパンチ』っていう軽薄な番組で…。結局、低視聴率やったんですけど、ディレクターとタレントがドキドキパンチになったんです」
2021年10月17日 スポニチ
のちに上沼恵美子さん自身も、番組が夫の上沼真平さんと恋のきっかけになったことを語っています。
出会いから結婚までの経緯がヤバすぎる!
上沼恵美子さんと上沼真平さんは、2年の交際期間を経て1977年5月22日に結婚。
朝日放送前にある大阪のホテルプラザで挙式をあげました。
上沼恵美子さんと上沼真平さんの結婚は順調なものではなく、上沼真平さんの親戚一同からの反対を押し切って成し遂げたものでした。
上沼恵美子さんは上沼真平さんの父母を含めた親戚に、
(上沼恵美子さんは)人笑わして、学歴もない。何やのあれようしゃべる。
2021年7月5日 スポニチ
テレビで見とったら柄の悪いしゃべりしてるやんか。
女の子のわりに。あんなんが嫁に
と言われ、結婚を猛反対されてしまいます。
しかし、上沼真平さんは親戚にわかってもらうために、巻き手紙のようなものに上沼恵美子さんの良いところを書き、親戚に送りました。
上沼真平さんの説得に親戚も結婚を了承。
2人は晴れてご結婚することになりました。
上沼恵美子は旦那と結婚後に芸能界を引退
上沼恵美子さんは上沼真平さんと新婚旅行に行ったあとに芸能界を引退。
姉と組んでいた海原千里・万里も解消しました。
結婚後は1978年に長男、1983年に次男が誕生しています。
上沼恵美子が旦那にベタ惚れで結婚したも収入格差がヤバすぎた?
上沼恵美子さんは上沼真平さんにベタ惚れな状態で結婚。
文春オンラインのインタビューでも、
結婚したのは、22歳になったばかりの頃でした。
2021年12月19日 文春オンライン
身震いするほどの恋におちた私が、無理やり結婚してもらった感じです。
この世で一番好きになった人は間違いなく旦那。
と、上沼真平さんへの愛情について語っています。
しかし、ベタ惚れ状態で結婚したはずの上沼恵美子さんですが、上沼真平さんとの結婚生活はうまくいくことばかりではありませんでした。
この世で一番好きになった人は間違いなく旦那。やがて一番嫌いになるんですが……。でも夫婦の大半が「一番好きで一番嫌い」な関係ではないですか。
2021年12月19日 文春オンライン
文春でも「一番嫌いになる」とコメントしている上沼恵美子さん。
結婚後、上沼真平さんは上沼恵美子さんに対し、
・家事は絶対手伝わない
・女房を褒めない
・お上手をいわない
といった典型的な亭主関白でした。
さらに、長男が生まれて夜泣きの日々が続いたときも仕事で夜遅くまで帰宅しないため、育児を手伝ってくれることもなかったようです。
また、上沼真平さんは上沼恵美子さんに対し月10万円の金額を渡し、その中でお姑さんと息子、自分の生活を賄うようにと指示したといいます。
月10万円で3人が生活するとなると、かなり切り詰めて生活しなければなりませんよね。
テレビプロデューサーとして活躍していた上沼真平さんですから、年収は1,500万円以上だったのでは?と推測されています。
結婚後の生活について、上沼恵美子さんは嫌気がさしたと語っています。
上沼恵美子さんの旦那さんの現在や別居理由については上記の記事でご紹介しています。
上沼恵美子が芸能界に復帰後も上沼真平は厳しすぎた?
結婚後の専業主婦の生活に嫌気がさした上沼恵美子さんは、1978年に長男を出産後、3ヶ月で芸能界に復帰。
しかし、結婚後の芸能活動についても上沼真平さんからは、
・歌を歌うな
・演技はするな
・東は滋賀、西は姫路まで
・僕の年収を超えるな
といった条件をつけられることに。
移動範囲が限られているのは芸能の仕事をする上でかなり痛手となりそうですね。
しかし、上沼恵美子さんは上沼真平さんからの条件を全て破ってしまうことに。
1994年には紅白歌合戦の司会も務めるなどして完全に芸能界に復帰し、活躍しています。