馬渕則文さんは、岐阜県にある中津川市民病院で救急医として活躍しています。
馬渕さんは医師や看護師による即時対応が可能なドクターカーに乗り、24時間365日体制で救急の患者さんの治療を担当。
自分の生活は二の次で患者への治療を優先しており、ミスター・ドクターカーと呼ばれることもありました。
当記事では、馬渕則文さんの経歴や結婚・子供、年収などについて調査しました。
馬渕則文の経歴まとめ!
名前:馬渕 則文(まぶち のりふみ)
生年月日:1958年7月
年齢:64歳(2022年8月現在)
出身:愛知県
学歴:1983年3月 名古屋市立大学医学部 卒業
家族:父親・薬剤師 祖父・神谷浩三(医師・開業医)
馬渕則文さんは64歳(2022年8月現在)であり、医師のキャリアは40年ほどの大ベテランです。
父親が薬剤師、祖父が開業医という医師の家系で育ちました。
馬渕さんは高校3年生までは土木エンジニアを目指していましたが、ぎりぎりのところで医師になることを決意。
大学入試直前に志望学部を医学部に変更しました。
馬渕則文のキャリアがエリートすぎる!
馬渕則文さんのキャリアは次のとおりです。
1983年4月 | 名古屋市立大学病院 麻酔科・ICUに勤務 |
– | 名古屋第二赤十字病院集中治療部 |
– | カナダ・トロント総合病院麻酔科 |
1999年3月 | 国際協力事業団医療協力部派遣前業務委嘱員に |
1999年4月 | エジプト・アラブ共和国カイロ大学小児病院小児救急医療プロジェクト・チーフアドバイザーに就任 |
2002年4月 | 岐阜県立多治見病院麻酔科主任医長・救命救急センター主任医長就任 |
2002年7月 | 同病院 麻酔科部長に就任 |
2002年8月 | 同病院 救命救急センター長に就任 |
2007年4月 | 同病院 臨床研修センター長に就任 |
2008年 | 岐阜県立多治見病院で日本初の乗用車型ドクターカーの運用を開始 |
2013年 | 中津川市民病院に赴任。ドクターカーに特化した病院前救急診療科を開設 |
2022年 | 中津川市民病院・病院前救急診療科部長に就任 |
馬渕則文さんは、はじめは麻酔科に進み、さらに救命医療にも携わっています。
馬渕さんは海外の病院でも勤務されており、カナダの大学病院では当時は日本で認可されていなかった心臓や肺の移植手術にも携わりました。
麻酔科へ進んだのは、目標とする先輩がいたこと、さらに救急医療にかかわるようになったのは、ドイツで出会った麻酔医の多くが救急救命医でもあったということかな
2016年10月19日 女性セブン
とコメントしています。
なお、ドクターカーとの出会いは、研究の一環でヨーロッパを巡っていたとき、ドイツで乗用車型のドクターカーを見たことでした。
また、救急医療を志していた30代のときには、救命センターへ搬送中の男の子が亡くなる姿を見てしまった馬渕さん。
医者が病院で待っているだけでは駄目だ
と強く感じたのだといいます。
ドクターカーを始めたのは祖父・神谷浩三さんの影響
馬渕則文さんの祖父である神谷浩三さんは、町医者として長年地域医療に貢献した人物です。
2013年、医師の定年(65歳)まであと10年ほどだと思った馬渕さん。
「最後の10年は好きなことをやろう」と心に誓います。
その時、馬渕さんは祖父である神谷浩三さんの生き方が頭に浮かびました。
このじいさんは、70才を超えてから、それまでやっていた町の医院を、ぼくの叔父に任せて、静岡県の無医村に入って診療所をやっていたんです。それで、ぼくも同じように好きなことをしたいって。で、たどり着いたのがここ中津川だったんですよ
2016年10月19日 女性セブン
馬渕則文さんが思う好きなこととは、
医者が病院で待つだけでなく、現場に駆け付け現場から診療を開始できるモデル
を実現することでした。
岐阜県中津川市は集落が点在している地域。
救急車を呼んでから高度医療で対応できる病院に搬送されるまで時間がかかり、患者さんの治療に間に合わないことも。
馬渕さんが中津川で車内ですぐに治療ができるドクターカーを始めたところ、救命率が3%から19%に上昇しています。
馬渕則文の嫁や子供は?
馬渕則文さんの妻子の情報はありません。
馬渕則文さんは医師になってから海外赴任をしたり、救命医として活躍したりと多忙な生活を送られています。
恋愛や婚活などをする余裕がなかった場合は、独身である可能性もありそうです。
しかし、医師として多忙な日々の中でも職場内などで出会いがあれば、結婚してお子さんがいる可能性もあるかもしれませんね。
引き続き調査を行い、馬渕さんの結婚した奥さんやお子さんの情報が入り次第、追記してご紹介します。
馬渕則文の年収は2,000万円以上って本当!?
馬渕則文さんの年収は、推定2,000万円以上です。
馬渕則文さんは、キャリアが40年ほどの大ベテランであり、病院では部長の肩書きもあるためです。
救命医の年収の最高ランクは2,000万円以上であり、全体の15.6%ほど。
馬渕則文さんのキャリアを考えると、救命医として最高ランクである年収2,000万円以上の報酬を得ていても不思議ではありません。
なお、全国の救急医の平均年収は約1,600万円です。
中でも年収1,000万〜1,500万円未満の救命医が一番多く、全体の21.9%を占めています。
まとめ
馬渕則文さんの経歴や妻子、年収などをご紹介しました。
患者の命を救うために毎日飛び回っている馬渕則文さん。
医療への熱い想いが溢れている情熱的な救命医であることがわかりますね。
これからも馬渕則文さんを応援していきましょう!